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藤あや子 父母 祖父母 ファミリーヒストリー

藤あや子のファミリーヒストリー ~苦労が刻まれたその手を…~

2025年1月22日放送のNHK総合「ファミリーヒストリー」では、藤あや子が自身のルーツを辿る感動的なストーリーが描かれました。昨年、初期のがんと診断され手術を受けた藤あや子は、死を意識する中で自らのルーツに深い興味を抱くようになったと言います。今回はそのルーツを辿り、家族や先祖の苦労を知ることで、自らの歌に込められた想いが改めて浮かび上がりました。

オープニング:今だから知りたい、自分が生まれてきた理由

藤あや子はオープニングで、「ご先祖さまに会いますから、一番いい着物を持ってきました」と話し、番組は彼女がどんなルーツを持つのかに焦点を当てました。がんの闘病を経て、自身の家族や先祖について知ることの大切さを感じている藤あや子。番組はその歩みを丁寧に追っていきます。

父方のルーツ:秋田の農家と波乱の歴史

藤あや子の旧姓は高橋。彼女の父方のルーツを辿ると、秋田県仙北郡薗田村(現在の仙北市)にたどり着きます。高橋家の初代は、安土桃山時代から江戸時代を生き抜いた仁右衛門という人物で、広大な荒れ地を開墾し、高橋家を支える基盤を作り上げました。定治は、その四男として生まれ、昭和初期の凶作に悩む農村で育ちます。幼少期、定治は民謡に癒やされ、その後の人生にも深い影響を与えました。

父の激動の人生:戦争に翻弄された定治

定治の人生は波乱に満ちていました。日中戦争では工兵として満州に赴き、その後、食堂を開くなど商売にも励みます。しかし、戦争の終結とともに満州は混乱を極め、定治は家族と離れ離れになり、命からがら日本に戻ります。その後、精肉店を開き、真奈美(後の藤あや子)の母となるノリ子と出会い、家族の物語が紡がれていきます。

母方のルーツ:秋田の農村から役者の家系

藤あや子の母方の祖母・ヤスノもまた、苦労を重ねた女性でした。ヤスノの家系は、秋田の農村で有力な人物が多かったものの、ヤスノ自身は若いころから過酷な生活を強いられました。若い頃に農家の男性と結婚し、家業を支えながら懸命に働きましたが、病に倒れて短い生涯を終えました。藤あや子は、ヤスノの手を見て「私の手と似ている」と語り、その思いを自らの歌に込めてきました。

藤あや子の誕生と育ち:角館での商売と民謡の道

真奈美(後の藤あや子)は、角館で生まれ育ちました。父・定治が精肉店を営む傍ら、民謡が町の文化の一部として根付いており、真奈美もその影響を受けました。手踊りに憧れ、高校卒業後は民謡歌手の後ろで踊り、やがて歌の道を志すようになります。24歳の時、レコード会社の音楽プロデューサーにスカウトされ、藤あや子としてデビューを果たします。

紅白の舞台と父の思い

藤あや子は、1990年に「こころ酒」で大ヒットを記録し、紅白歌合戦にも出場。しかし、その年のうちに父・定治は病床に伏し、彼女が紅白の舞台に立っているのをテレビで見届けた後、76歳で他界しました。藤あや子は、父が最も支えてくれた存在だったと語り、その思いを胸に歌い続けています。

祖母と母の思いを受け継いだ歌

藤あや子の歌声には、祖母・ヤスノ、母・ノリ子、そして数多くの先祖たちの思いが込められています。デビューから10年後、藤あや子は「雪 深深」を発表。民謡の師匠や親戚からは「ふるさとの手踊りの技が活きている」と称賛されました。また、大叔母からは「なんてヤスノさんに似た手だ」と言われ、藤あや子はその手の中に、祖母の苦労と想いを感じていると話しました。

藤あや子のファミリーヒストリー

藤あや子のファミリーヒストリーは、時代の波に翻弄されながらも、故郷秋田の地で数々の困難を乗り越え、家族を支え合ってきた歴史です。その手のひらには、祖母・ヤスノや母・ノリ子が歩んできた道のりがしっかりと刻まれています。

番組を通じて、藤あや子は自らのルーツを深く見つめ直し、今後もその歌声で多くの人々に感動を与え続けることでしょう。

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