ニトリ会長・似鳥昭雄の“毒と薬”――テレビで語る「できそこないの学生時代」と、その先の再起
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フジテレビ特番『明石家さんまと日本の社長』に似鳥昭雄・ニトリ会長が出演し、自らの“学び直し”のエピソードや、「小6まで漢字が読めなかった」「高校は裏口入学だった」といった赤裸々な過去を語る場面が注目の的になる。番組は大物トップたちの“普通に聞けない話”を引き出す構成で、似鳥会長の語りもその流れで進行する。(デイリースポーツ, フジテレビ)
似鳥昭雄とは?(基本プロフィール)
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名前:似鳥 昭雄(にとり あきお)。
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生年月日:1944年3月5日(2025年時点で81歳)。
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肩書き:株式会社ニトリホールディングス代表取締役会長/ニトリ創業者。
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会社創業と沿革(視聴メモ):1967年12月に「似鳥家具店」を札幌で創業し、その後1972年に法人設立、以降「ニトリ」として全国展開する大企業に成長する。売上や従業員など最新の企業データは会社の公式ページで確認でき、ニトリは国内外で大規模な小売ネットワークを展開する企業である。(ニトリHD)
番組での“本人談”――何を、どのように語っているか
似鳥会長は番組の中で次のように語る:
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「漢字が書けるようになったのが小学校6年のとき」と明かし、子ども時代の学習の遅れをさらけ出す。
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高校受験に落ちてしまい、校長との“口約束”で米1俵を渡すことで裏口入学になる経緯を語る。会長は実家が「ヤミで米を売っていた」と照れながら説明し、校長からの「世間体があるから午前0時過ぎに届けてくれ」というやり取りまで紹介する。これに対してスタジオが驚きのリアクションを示す場面が放送で描かれる。
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進級のピンチに“輪ゴムで作ったカンペ”を使ってカンニングしたなど、“学校でのサバイバル術”を笑いに変えるトークを行う。さらに大学受験に落ち続け「ウルトラC」で短大へ進むエピソードが出て、その部分は放送上カットされる(番組の編集で音楽が入るほど“契約的にデリケート”な話題になる)。
重要な注意点:これらのエピソードは似鳥会長自身の語りに基づくものであり、放送はその語りに対するスタジオの反応(さんま氏らのツッコミ)を含む演出で構成される。視聴者は“本人の証言”として受け止めつつ、当時の社会状況や文脈も合わせて理解するとより納得しやすい。
そのエピソードをどう読むか?――「倫理」と「時代」の眼差し
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時代背景の重要性:似鳥会長が語る裏口入学や“米1俵”のやり取りは、戦後世代の一部に見られる“地元での取引慣行”や学歴・生活の現実を反映するエピソードとして理解できる。現代の視点で「不正」と断じるだけでなく、当時の社会的事情(貧困、学校運営のローカル事情、 戦後復興期の混乱)を踏まえることが公平な読み方につながる。
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倫理的視点:一方で「裏口入学」や「カンニング」は倫理的に問題であり、現代の基準では容認されない。似鳥会長自身も番組で「許されない」と笑いながら認める場面があり、視聴者は単なる“面白話”として消費するだけでなく「何が許され、何が変わったのか」を考える契機にできる。
“学歴・失敗→再起”の物語としての学び
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似鳥会長は学業での困難を経て住み込み就職→失敗→野宿→家具店創業→ニトリへと至る“どん底からの事業成功”の経路を語る。視聴者はここから「学歴だけが人生でない」「失敗の連続が後の強さにつながる」といった教訓を受け取ることができる。ニトリは1967年の創業以来、独自の仕入れ・大量販売戦略で成長を遂げる企業になる。
番組をより深く楽しむためのチェックポイント(視聴ガイド)
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語られ方を観察する ― 似鳥会長がどのように“笑い”と“反省”を交えて語るかで、彼が自分の過去にどう向き合っているかが見えてくる。(デイリースポーツ)
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スタジオリアクションに注目する ― さんま氏らのツッコミや共演者のフォローで、社会の受け止め方がわかる。(フジテレビ)
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企業史と照らし合わせる ― 番組トークとニトリの公式沿革(創業年、成長の転換点)を照らし、個人史と企業史がどう結びつくかを考える。(ニトリHD)
最後に(まとめ)
似鳥会長のトークは「低学歴・不遇→ずる(?)をして生き延びる→事業で大勝負して成功する」という劇的な物語性を持つ。スタジオは笑いと騒然を同時に生み、視聴者はその“人間くささ”に惹かれるはずだ。だが同時に、倫理・時代背景・企業の社会的責任という視点を忘れずに見ることが、冷静で豊かな視聴体験につながる。